どうも皆様初めまして。
いつものお客様は、ようこそいらっしゃい。
今月からエッセイの連載を始めますシンガーソングライターのアキラと申します。
初回から「なにを書こうかなぁ〜」なんてぼんやり考えていて、たぶん普通は自己紹介から始まるのだろうなぁと思ったのでその下書きをばつらつらと書いていたわけで。
しかし。しかし、である。
果たして気になるのでしょうか?
まったく見ず知らずの男の情報など。
例えば「O型の魚座です!」と書いたとして、
「へぇ!じゃあ少し大雑把な性格な部分もあるけれど、実は繊細で芸術肌なのね!すごいわすごいわ興味津々だわ!」
と、なるだろうか。
否!ならん!断じてならんだろう。
だからして、私は私で少しでも笑ったり「なるほど」と思って頂ける体験談なんかを書いていけたらと思う。
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軽く少しだけ話をするなら、なにを隠そう私は「脱サラシンガーソングライター」である。元々は十数年間、高齢者施設で介護福祉士をしていた。それはもう介護業界が好きで好きで、
「どう考えても天職!」
と、本気で思っていたし、職場環境にも恵まれていた為、辞めたい理由等微塵もなかった。
しかし、齢三十を数える直前になって、今までとは違う感情が沸々と湧いてきたのである。
「このままでいいのだろうか」
と。
初めは漠然とした感情であったが、日を追うごとに増していくその感情は、次第に輪郭を帯びより具体的な願いとなって胸の奥に居座り続けた。
その結果、私は今介護業界を離れ、どうにかこうにか生きている。
そのきっかけとなった話は、また次の機会にするとしよう。
今回は、そんな私の人生初ステージの話。
幼少期の話。
小学校に入る頃には、すでに人前でなにかバカをやるのが好きだった。
入学してすぐの自己紹介で、ジャングルジムの一番上から飛び降りて見せて担任の先生に怒られたりもした。目立ちたいというか、「自分は人と少し違うんだぜドゥルへへへ…」という、少し早めの中二病を抱えた子だったのだと思う。
今振り返れば、自分のステージ人生の始まりはここからだ。
小学一年生のある日。テレビを見ていると小~中学生くらいの子どもたちの漫才大会が行われていた。うろ覚えではあるが、「未来のお笑い芸人集まれ」的な番組だったと思う。
自分たちで一生懸命に考えたネタをテレビで披露する姿は、子どもながらに惹かれるものがあった。しかし、それと同時にこうも思った。
「あれくらいなら、俺もできんじゃね…?」と。
ん〜、この根拠のない自信が、今の自分に繋がっているような気がする。
翌日から私は意気揚々と学校で相方を探した。
小学生の時代なんかは特にだが、学校に通っているとクラスメイトはだいたい同じような生活リズムで同じような時間にテレビを見るわけで。当時一番仲の良かった「キノくん」もその一人だった。すぐにテレビの話題で盛り上がり、「いっちょやったろかい!」という話にまとまった。
盛り上がった二人は、まわりの友達に
「俺たち漫才しちゃうもんね!!!」
と得意気に言って回った。すると、同じように盛り上がったクラスの女の子二人組がおり、先生の耳に入るやいなや
「後日おわりの会で発表してもらいましょう」
という話になった。思いがけず、幼稚園や学校の行事ではない、人生初ステージを踏むことになったのである。
まず考えた問題は2つ。ネタとコンビ名である。形から入りたがる私は、当時駆け出しコンビではあるがめちゃめちゃ好きだった「2丁拳銃」や「ルート33」などの例を出しあぁでもないこうでもない考えた。
悩みに悩んだ結果、周りの友達に猛プッシュされ「ちびーず」になった。
余談ではあるが、キノくんも身長が小さい方ではあったが、小学一年生当時の私の身長は、教室にある一メートルものさしで計れるくらいにはミニマムであった。今思えば完全に悪口である。
かっこつけたかったコンビ名がただの悪口に成り下がり、意気消沈した二人は「テレビで見たネタをそのままやろう」という、なんだか大幅に減速した案で事を収めることにした。ステージに立つ前からエンスト寸前。思えば走り出す前からトップギアに入れた二人も悪かったのだけれど。
驚くことに、例の番組「未来のお笑い芸人集まれ」で見たネタを二人は完全に覚えていた。キノくんなんか、手振りまで覚えていたほどだ。今思えば二分程度の短いネタではあったが、ネタの問題も解決。二人は給食で残したパンなんかを食べながら放課後にキャッキャと猛練習を重ねた。
割りと鮮明に覚えているが、ネタの内容としては「浦島太郎が竜宮城に行ってもらってきた玉手箱の中は、弁当が腐っていた」というなんともシュールな落ちのものである。その落ちの部分、「弁当が腐ってた」で両手と片足をあげ「びっくりなポーズ」をすることで笑いがどっかん!というイメージである。
文章にするとなにがどう「どっかん!」なのかはわからないけれど、とにかくどっかんはどっかんなのである。「大爆笑させちゃうもんね!」という意気込みは充分で、エンスト気味だったエンジンも、練習を重ねるごとに二速三速とギアがあがった。
いざ本番。授業が終わり、おわりの会でほかのクラスメイトが
「今日はドッヂボールのボールが受け止めれて嬉しかったです」とか「給食のヨーグルトがおいしかったです」とか、今日1日であった可愛らしい良かった事を発表する。しかし、そんなことは頭に入ってこない。さながらM-1の舞台袖、または上方漫才大賞の楽屋の気分である。難しい顔をしたりちょっとにやにやしたり、なんだか挙動不審な私に、隣の席の子が「今日の給食の梅干し、まずかったよね。わかるわ~」と的外れな心配をしてくれたことを今でも忘れない。
各自報告が終わり、先生が
「今日は二組のコンビが漫才をしてくれます」
と高らかに宣言した。教室のボルテージは最高潮。狂喜乱舞。なんせまだまだ小学校一年生である。悲鳴にも似た歓声があがり、皆それはもう興味津々に教卓の方を向いた。
まずは、先に女の子二人組。ネタの内容としては
「ソース美味しいっすよね~。ソースね~」
的なダジャレネタである。赤面し、もじもじしながらの短いステージであった。皆も温かい笑いで見守っている。それを見て私は
「勝った…」
とほくそ笑んでいた。すごい自信である。
さぁ、いよいよ本番。私とキノくんは勇み足で黒板の前に立った。短いネタではあるが順調に進む。
おぉ、口も滑かだ。これはやれるかもしれない。
そして最後の見せ場。「弁当が腐ってた!」に近付く。よぉし、教室全体にどっかん!だ。私は渾身の力を込めて声をあげた。
「べんとぅんがくさってにゃん!!」
噛んだ。盛大に噛んだ。
確かに教室全体がどっかんである。
違う。そうじゃない。
想像してほしい。多感なお年頃の一年生。カッコつけたかったり人気者になりたかったりする夢見る少年が両手と片足をあげて大きな声で「べんとぅんがくさってにゃん!」である。
萌えか。萌えなのか。
こうして私の人生初ステージは終わった。
しかし結果として、少年は夢見ることを忘れなかった。
後日談として、高学年になってからまた別の相方と漫才をすることになるのだが、それはまた別のお話。
そして今、私はここにいる。
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文:アキラ(大阪を拠点に活動中のシンガーソングライター。最新情報は下記SNSをチェック!)
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