
一週間はあっという間。
どうも皆様お世話になっております。
シンガーソングライターのアキラでございます。
連載が始まり早くも第二回。いろいろな締切に追われているとそれはもう光陰矢の如しと言うか、びゅんびゅん時間が飛び去っていく。困っちゃう。しかし「時間が足りない」と悩めるのはありがたいこと。どんな形でも発信の場を頂けるのはありがたい。
さてさて、今月3月はステージが計10本。
いつかどこかで皆様と会えるのを楽しみにしております。
そういえば。
3月といえば、忘れてはいけない大切な行事がある。え?ご存知ない?
またまた〜、そんなわけないじゃないですか旦那。
ほら、あれですよ、あれ。思い出して。
知ってるでしょ?え?知らない?
そう。
わたくし、誕生日である。
…ん?知らない?
そうか……では、覚えてくださいな。
3月20日よ。アキラさん、誕生日よ。
人生が始まって、34年が経ちます。
誕生日の想い出はまた後日語るとして、ライブ告知を挟みます。

令和5年3月20日(月)
アキラ活動5周年記念全曲ライブ
【全力CLIMAX BATTLE】
(告知画像に誤りがあります。正しくは月曜日)
3周年から始まった毎年恒例全曲ライブ。
3年目は70曲で7時間。
4年目は126曲で12時間。
今年は、今のところ約150曲。
たぶん15時間くらいになります。
さぁ全力で歌い切ってみせますよ。
当日はラスト第三部のみ無料You ube放送があります。見守ってやってください。
詳しくはTwitterをチェック!
▼アキラTwitterアカウント
https://twitter.com/akira_utauhito
生まれて34年。
音楽活動を始めて5年。
良いことばかりではなかったけど、恵まれてきたなぁと思う。手探りのままドキドキワクワクしながら生きてきた。今日もそんな始まりの話。
音楽を始める。
私の家では、意識した時にはすでに手元にギターがある状態であった。少しだけ歳の離れた兄が二人いるのだが、長男がエレキギターを買ってすぐに飽き、次男に降りてきて飽き、私に回ってきたような形である。
と言っても、私は別段音楽に興味があるわけではなかったし、エレキギターをジャカジャカするのもテニスのラケットを持ってエアギターをするのも変わらないくらいの遊び方しかしていなかった。そうこうしているうちに、どこからか親父がアコースティックギターをもらってきた。モーリスのギターだった。しかし、その時も私は別段興味を持つわけではなかった。
そんな私が、音楽を始めたきっかけはもんのすごく単純である。小学校からの友人が、「ギターを買って音楽を始める」と言ったからだ。平たく言うと便乗しただけである。
歌うことは好きだった。音楽の授業が大好きだったし、歌謡曲や演歌が大好きだった母親に、小学生の頃からお風呂なんかでやたらと歌の指導を受けた記憶がある。正直、小~中学校時代には
「あれ?俺、歌うまいんじゃね?」
と、それはもう調子に乗っていた節すらある。
もちろん、本格的にライブ活動が始まると、その根拠のない自信は木っ端微塵に砕け散ったわけだが。
余談であるが、中学校に入って、友達と初めてカラオケに行った時。少しでも自分をカッコよく魅せたい自意識ぶりぶりボーイであった私は、小さなメモ帳の切れ端に「うまく歌えるリスト」を書いてこっそり持って行ったりしていた。
「俺は人よりうまい!たぶん!」
と調子に乗っていた私は、別にそうでもないフリをしながらも滲み出る「かっこつけてる少し痛い人感」を振り撒きながら、練習してきたゴスペラーズやキック・ザ・カン・クルーなんかを歌った。しかし、あまり反応がよくない。
「なぜ!?こんなに歌えるのに!?」
と焦った私は
「なんかリクエストして!」
と調子に乗った。そこでリクエストされた「ミニハムズのテーマ」が一番好評で、私は少しだけ傷付いた。
まぁ、音楽を始める前からそれくらい歌うことは好きだった、という話。調子に乗る時代なんて皆あるでしょ?なぜって…坊やだからさ…。
そんな私だったし、なんとなくおもしろいと思ったことはなんでもやりたい!という性格もあり、すぐにギターの練習を始めた。うちの相方は教本を買ってしっかり読み進めるタイプであったが、私はそうではない。今でも、説明書なんかまったく読まずに物事を進めるタイプである。
「ギターなんかすぐ弾けるもんね!」
という、まったく根拠のない自信に満ち満ちていた。
さっそく私は、当時大ファンであった山崎まさよしの楽譜を買った。分厚い全曲集である。私はとにかく「one more time one more chance」が弾き語りたくてウズウズしていた。というより、なんやかんやとチヤホヤされたかった。
家に帰り、いざ楽譜を開くなり私は衝撃を受けた。
「これは…何語なんだ…」
なんがかわからんが細かく並んだ数字。その上にはBadd9とかC#m7だとか読み方もわからない文字が並んでいる。
そうである。楽譜なんか、予備知識なく読めるわけがないのである。少ないお小遣いをはたいて買った楽譜は、現段階では兄弟喧嘩で使用する鈍器程度にしか役に立たなかったのである。
私は大人しく友人と一緒に教本を初めから読み進めることにした。今はどうかわからないが、当時の本屋さんには「ストリートミュージシャンになるために」みたいな本がかなりたくさんの種類売っていた。その中でもイラストが多く、文字のでかい本を選んで購入し、改めて練習を始めた。
駆け出し中学生二人組がスタジオなんかを借りるわけもなく、練習場所といえば近所の公園かどちらかの家である。当たり前の話だが、もちろんギターは持って移動しなければならない。しかし、拾い物のギターからスタートしたアキラ少年は、ギターケースを持っていなかった。
そのため、アコギを裸のまま持ち歩いていた。
今思えばすごい光景である。
ちょっと想像してほしい。背丈の割には大きな(ちなみに当時の身長は120センチくらいだった…)アコースティックギターを肩に担いでせっせと自転車をこぐ中学生。殴り込みに行くための鈍器にしか見えない。または、新手のヒップホッパーのようであったと思う。
そうこうしながら、私の音楽人生は始まった。
長くなってしまったので、ちょっとだけ次回に続きます。
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文:アキラ(大阪を拠点に活動中のシンガーソングライター。最新情報は下記SNSをチェック!)
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